韓さんの勾留理由開示公判で、韓さんが、勾留面接の際?に判事から酒の匂いがしたと告発してた件。
勾留理由は全然説明しない裁判官が、その発言についてだけは「事実ではありません」といちいち弁解を記録させてたのは、申し訳ないが笑いました。どっちが裁判官だかわかりゃしない。
韓さんがウソを言うとも思わないけど、勘違いではあるかもしれません。しかし、そうであるなら、判事による勾留理由の認定の方が遥かに酷い勘違いでしょう。「裁判官の業務中の飲酒」がありえないなら、裁判官が認定した「逃亡や証拠隠滅の恐れ」はもっとありえない。
一瞬だけ、裁いているつもりの裁判官が逆に裁かれて慌ててる。そんなシーンでした。
……何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
日本国憲法第34条後段より。先に言ってしまうと、この条文は現在、守られていません。酷い国です。
5月21日火曜日、韓基大さんの勾留理由開示公判が開かれました。10月17日のJR大阪駅での威力業務妨害というデッチ上げの事件です。
勾留理由開示公判は何度も見てきましたが、勾留の理由がまともに開示されたことは一度もありません。このブログでは何度も指摘してますように、勾留の理由となるのは「逃亡の恐れ」「罪証隠滅の恐れ」です。なんで韓さんが逃亡しなきゃいけないのでしょうか。「罪証隠滅」って、一体何をどのような方法で隠滅するというのでしょうか。せいぜい「JR大阪駅の職員に接近するな」という指定をすれば十分にたる話でしょう。
公判ではどのように述べるか「証拠等から判断して、そのように判断しました」。「で、その証拠はどんなものなのですか」と聞くと、「公判での検察立証にかかわるので証拠の内容に関してはお答えできません」と答えます。これは「理由は開示しない」と述べているも同然です。
信じがたいことですが、そもそも裁判官は、逮捕や勾留それ自体に証拠がいる、とは考えていないのではないでしょうか。
韓さんは、意見陳述で次のようなことを述べていました。裁判所の刑事関係者の待合室には、たくさんの警官たちがさまざまな嫌疑をかけられている被疑者を連れて、裁判官の判断を待っている。勾留の許可が出なければ、この被疑者を解放しなければならないから、勾留許可が出るかどうか、心配してる警官が居てもよさそうなものだが、誰一人そんな心配はしていない。「今日、早く帰れるかなぁ」といったことしか考えていない。そのことがすべてを示している。裁判所は検察の言うなりに勾留状を出すに決まっていると考えるほどに警察・検察と裁判所が慣れあっているからだ。
そして、勾留するかどうかを判断した裁判官は、韓さんとの勾留面接の際に、一度も目を合わせなかった、と。そして、「あのとき、あんた、酒の匂いさせてたよな。あれはなんでなんやろな」と告発しました。もちろん、真相は闇の中です。勾留面接の場には、被疑者と、裁判官と、書記官。この3人しかいません。本当のところはどうなんでしょうね。
少なくとも言えることは、身柄の拘束という重大な人権侵害につながるかもしれない決定の理由を説明すべき勾留理由開示公判でこんないい加減な説明しかしない裁判官に比べれば、完全に酩酊している人の方がはるかにまともな判断力を備えているでしょう、ということです。
太田弁護士は、最後に、裁判官の人権感覚のなさに慨嘆をして、その意見陳述を締めくくられました。
6月21日16時より、大阪府警・検察・裁判所に抗議する「自由を取り戻す!中之島ぐるぐるデモ」を行います。追って詳しい情報も出していきます。お時間の都合のつく方、ぜひ、ご参集ください。参加は難しい方も、ぜひ、こういう問題があることをあちこちへ広げていってください。
11月13日に大阪府警により不当逮捕され、3か月余りに渡る不当な長期勾留を受けて心身をひどく傷つけられ、さらに異様ともいうべき保釈条件に苦しめられたぱぉんさんの保釈条件が次のように緩和されました。
【緩和前】
○○(Uさんのこと)、韓基大、大阪市環境局の職員及び平成24年11月13日午後3時30分頃から同日午後5時15分頃までの間、大阪市此花区四貫島1丁目1番18号大阪市此花区民ホールに所在した者とは、弁護人を介する場合を除いて、面会、電話、文書、電子メールその他いかなる方法によるとを問わず、一切接触してはならない。
【緩和後】
○○(Uさんのこと)、韓基大、
下地真樹及び大阪市環境局の職員とは、弁護人を介する場合を除いて、面会、電話、文書、電子メールその他いかなる方法によるとを問わず、一切接触してはならない。
勾留されていない者として(=現実的に会う可能性がある者として)、唯一、「ぱぉんさんに会うこと、連絡を取ることまかりならぬ」との指定を受けた者として、抗議の声明を発表します。
そもそも、勾留の要件とは、「罪証隠滅の可能性、または逃亡の可能性があること」であり、それがない場合は「勾留してはならない」。また、接見禁止の要件とは、「罪証隠滅の可能性が強くあること」であり、当然、それがない場合に接見禁止をつけることは不当な職権行使と言うべきです。
今回、私がぱぉんさんと会ってはならないとの指定を受けた件について、いかなる意味においても「罪証隠滅の可能性」などありえません。また、いかなる形式の証拠を、どのような方法で隠滅する可能性があるのか、そうしたことはまったく説明されません。このような説明責任がまったく果たされない形で、このような強い行動の制約を加えることが常態化している日本の刑事司法の現状は、「司法の『私刑』化」と指摘せざるをえません。基本的人権を擁護する常識的な近代法治国家の観点からして、およそまともな国と呼ぶことはできません。
私は、私一人のみに対する制限を「ささいなこと」として抗議せずに済ませることを潔しとせず、ここに、断固たる抗議の意思を表明しておきたいと思います。
そして、現在も勾留されているすべての人を即時に釈放すべきこと、起訴されている案件については、その不当な公訴を棄却すべきことをあらためて表明しておきます。
なんてね(笑)。
とにもかくにも、ぱぉんさんの保釈条件が緩和されたことはめでたいので、一人でお祝いしておきます。しかし、不当なことは不当なこととして、ちゃんと確認しておかないと、あまりにめでたいので忘れてしまいそうです。
私たちは、弾圧に慣れてはいけない。そう思います。甚大な権利侵害は、そこかしこで、頻繁に、行われています。その中で、相対的には「ささいな」と言えるかもしれない権利侵害には、ついついおっくうになって声をあげなくなってしまいがちです。また、「もっとひどい目に遭ってる人があるから、このくらいは、ま、いっか」となってしまいがちです。
しかし、相対的には「ささいな」と言えることに抗議の声を上げることには大事な意味があります。なぜなら、「ささいな」ことへの抗議が、その論理において正当であるならば、「より甚大な」ことへの抗議は、なおさら正当であろうと認識する手助けになりえます。「より甚大な」被害に際しては、しばしば声をあげることすらできなくなってしまうことがありますから、なおさら「ささいな」ことへもきちんと抗議をすることが重要です。
警察にも検察にも裁判所にも、強大な権力が預けられています。そこには巨大な責任も伴っているのです。そのことを理解しない人たちがこのような権力を振り回すとき、どのような平和な生活もありえません。
まず上流で介入せよ。「ささいな」不当にも、力の許す限り、丁寧にコツコツと抗議の声を表明していくことが重要だと、私は考えます。
……「今日、ぱぉんさん歓迎会に行けなくて悲しい」を七面倒くさく書くとこうなります(笑)。ではでは。